インターネット上のコミュニケーションの難しさ
とあるSNSサービスで自分の悩みを毎日のように日記に書いている友人がいます。
重い内容で毎回長文。心配した友人たちがこれまた毎回10人以上コメントを残すので、それにも返信。
しかし、昨日の日記の冒頭には、いろいろ愚痴を書くけどもアドバイスはしないで欲しいと書かれていました。
アドバイスお断り文は以前も書かれていたことがあったので気にもしていなかったのですが、今朝、日記を開いてみると激しい論争が巻き起こっていました。
アドバイスお断りならそもそも日記を書くなと抗議する人あり、同情して欲しいならそういう友達限定で日記を公開しろと文句を言う人あり。
みんな堪忍袋の緒が切れまくっていました。
インターネット上のコミュニケーションは意外と難しいので、よく考えて情報発信しないとこういったトラブルになりかねません。
ただ、これは閲覧側に問題ありです。
投稿者が「アドバイスは不要」と明記しているにも関わらず、押しつけの善意を盾に文句を言うのは筋違いでしょう。
ブログに書くことによって、共感を得たり、単純にストレスのはけ口として利用しているのかもしれません。
それにも関わらず、「日記を書くな」「限定公開しろ」などと第三者から言われる筋合いは全くありません。
これらも全てネットの特徴であり、誰もが情報発信して良いわけですから、勘違い閲覧者には困ったものです。
そもそも、こうした勘違い閲覧者と関わりたくないから「アドバイスお断り」と書いていることに気付かなければならないですよね。
SNSによる交流や情報交換
現代の演劇においてSNSでの情報収集や交流、宣伝などは欠かせません。
私は趣味でアマチュア演劇をしており、現代の演劇においてSNSでの情報収集や交流、宣伝などは欠かせません。
特に、SNSを通じた交流は、同じ分野の仲間や他分野の人とのコミュニケーションが図れるので、私たちには非常にメリットがあります。
以前、SNSを通じて知り合った方(美術に精通した方)と手を組んで、私の出演する演劇公演の舞台美術を担当していただいたことがあります。
また、最近では音楽に精通した方ともご縁があり、音楽と合わせた絵本の朗読をさせていただくことになりました。
こうして自分の専門分野と他の分野が融合し、芸術に新たな可能性が開かれていくのがなによりも嬉しく感じています。
インターネットサービスの高度化に伴い、あらゆる情報の複雑さも留まるところを知りません。
私たちは、その過剰な情報の中で正しいものを慎重に選び抜かなければなりませんが、間違った情報も同じくらい、場合によってはずっと大量に存在するため、どの情報を信用すべきか、いよいよわからなくなってきていると思います。
ですから、そのような中でも安心して、信頼できる情報を選び取るのをサポートしてくれる、そんな存在がいてくれると大いに助かるなと思います。
そのサポート役がいったい誰なのかはわかりませんが。
ただ、SNSにしてもなんにしても、ネットを通じて間接的にコミュニケーションする現代社会においては、お互いに疑念を抱くことがない、優しく寛大な心をもって接することができる、そんなネット社会になってほしいです。