無駄遣いなど存在しない

子どもから見れば、母親の持つブランドバッグや高くて良い化粧品は無駄遣いだ。
親から見れば、子どものゲーム代・マンガ代などの遊び道具やオヤツ代が無駄遣いということになるだろう。

そして仕事ひとすじの無趣味な父親から見れば、子どもの遊びの費用も、妻の化粧品代も洋服代も全てが無駄遣いだと感じるのだろうか。
個人消費の価値観は、ひとりひとりみんな違う。

そこで「無駄遣い」という言葉を使うのを止めてみて欲しい。
お金を使って物を得ることに無駄などひとつもないと考えてみて欲しい。

無駄遣いや贅沢だと言われるその買い物は、お金を回すのだ。
立派な経済効果であり個人消費は景気回復に繋がる。
お金を回さなければ、経済は一生回らない。

困窮を極めてまで、借金を作ってまで消費する必要はないが、最低限何とか暮らせている時点で、家計ばかりでなく国の経済のことも少しは考える余裕はあるはずだ。

無駄のない社会は有り得ない。
しかし、無駄にもレベルがあると思う。
例えば、最近は特に国や地方の行政に関わる税金のムダ遣いに対して風当たりが強いが、それは当たり前。

心血注いで働いた収入から税金として収められているお金を湯水のように使って良いわけがない。
実にシンプルな発想である。
これが理解出来ない公務員は、自らのサイフを他人に湯水のように使われても、何も文句は言わないのだろう。

シンプルに考えよう。

個人消費が落ち込む

この長引き過ぎた不況の中では当然のことだろう。
誰だってまずは家計を支えることが最重要課題であり、全体の景気のことなど考えている余裕などないのだ。
しかし、そうやっていてはますます景気は冷え込んでしまう。

お金が回らなくなり足りなくなる。
足りなくなると増税の方針が打ち出される。
結局は家計に跳ね返ってきてズッシリ重くのしかかってくるのだ。

なんという悪循環だろう。
消費の拡大には消費者の意識が必要だと私は考える。

そこで提案なのだが、1日1つ小さな無駄遣いを心がけるというのはいかがだろうか。
何でも良い。
例えばチョコレートが大好きな人なら毎日1枚100円の板チョコレートを買うことを日課にする。

毎日その日の分だけ買っても良いし、1カ月分まとめて買い置きしても良い。
食べるペースはその人の自由だ。

そうやって自分のために小さな贅沢をすることが、微力でも、消費の拡大に繋がるはずである。
消費を拡大すると言っても、やはり実入りに余裕がなければ、出費はしないものである。
ということは、収入を上げるための施策を個人や世帯で考えていかなければならないのではなかろうか。

副業やサイドビジネスを禁じる企業が未だに多いのが信じられないのだが、その企業ははたして従業員が満足するほどの給与を出しているのかと言えば、決してそうではないはず。
だから副業への関心が高まる訳だ。

«