天職を知る
文字を読むことが昔から好きである。
だから私はそれを我慢しない。
ほとんど文字なら何でも良いタイプなので、何でもかんでもとにかく読む。
小説や漫画・雑誌はもちろん、最近ではケータイ小説。
ネットニュースや、ネットで読めるさまざまなコラム。
テレビドラマや映画のノベライズ本は、映像で見るのとはまた違って楽しいものだ。
ちなみにテレビを見る時はテロップに大注目していることがある。
家でとっている新聞はまんべんなくスミズミまで見る。
新聞の折り込み広告1つでも、近所のスーパーの特売品だけでなく、あらゆる広告にサラッとは目を通す。
コンビニや店頭で見かける無料配布のフリー冊子やフリーペーパー。
たくさん持ち帰ってゆっくり読む。
フリーペーパーは地元のカフェや居酒屋のクーポンがゲットできてお得だ。
ずっとこんな生活を続けてきた私は今、自分が文字を書き、文字で世間に発信する仕事をしている。
昔は個人が好きな時間に自由に情報を発信するなんて考えられなかったのだが、今では、インターネットとブログというシステムのお蔭で、満喫している自分がいる。
とても充実している生活に感謝だ。
世の中がやっと自分に追いついたか、なんて大層な事は言えないが、電話という煩わしいモノからも遠ざかることで、更に自由度が増した気がする。
ケータイやスマートフォンはもはや通話よりも、情報収集ツールとしての役割が多い。
人生は短い
「将来の夢はお嫁さんです」なんて、一昔前の夢見る少女が言うようなことを、私は未だに言っています。
寧ろ実際に夢見る少女と言える年齢だった頃には、「教師になって母校に帰って教えたい」という夢を持っていました。
思えばある程度物心がついてからの夢は、大人受けというものを考えて言っていたような気がします。
教師になるのが夢だと言えば誰も反対しないし、逆に褒めて応援してくれます。
大学生くらいの頃、社会に出る、ということが現実味を帯びてきて、皆が将来に向けて頑張っている中、私も表向きは教師になるべく勉強や実習を頑張っていました。
しかし本心では「小さい頃から教師になるのが当然だという風に頑張ってきたけれど、本当にそれでいいのか!?」という気持ちがふつふつとわいてきていました。
「私はもしかして、本当は歌手になりたかったんじゃないか!?」と考え、こっそりとバンドのボーカル紛いのことに手を出したこともあります。
結局、とりあえずは一度なってみよう、ということで教師になり、それなりに楽しく一生懸命に仕事をして、遣り甲斐も見出すことはできました。
しかし一年間経っても「これは私の天職だ」という気分にはならず、結局辞めてしまいました。
それ以来、色々なアルバイトに手を出して生活をしています。
今はコンビニで働いていますが、今まででは一番やりがいや楽しさを感じています。(今までで一番お給料は低いですが)
そういう自由気ままな生活をするようになって、「短い人生、やりたいことをやらないのは勿体ない」「やりたいと思ったことは何でもやれる、そのためにお金を稼ぐなり時間を作るなりを頑張る」という考えを持つようになりました。
仕事を人生の目標や目的にする人もいて、それは決して間違いではないと思うのですが、私の場合は何か別に目的があって、そのための手段として仕事があるのだと思います。
そして最終的に、そんな人生において隣に居てくれる、最高のパートナーを見つけること、それが今現在の私の夢なのです。