十年という月日
先日、十年ぶりに再会した仕事先の人がいる。
私がまだ学生のアルバイトだった頃に出会ったときは、小さなことから怒られていたが、今でもその細かいことが気になる性格は変わられていなかった。
ただ、成長してびっくりしたよ、と言われて嬉しかった。
十年という月日は、子供の頃は大変に長い時間に感じていた。
十年前の話、というような内容が会話に出てくるほど、私は大人になったということだ。
成人式を迎えたときは、まだまだ子供なような感じがしていたが、二十代中盤を過ぎた今でも、大人というともっと上の世代のことを指しているように思える。
十代の子から見た自分は、どんな大人なのだろうか。
いきなり聞いても本当の意見は言ってくれないだろうから、こっそりアンケートを取ってみたいものだ。
思い描いていた二十代中盤の大人は、街並みを見下ろせるガラス張りリビングがあるマンションを購入しているイメージだった。
食事に合わせてワインを選び、ジャズコンサートに出かけているような。
でも、いざその年齢になっていると、ワインどころか、やっとビールのおいしさに気づいたぐらいだ。
これから十年経ったら、どんな私になっているのだろうか。
会わなかったことへの後悔
私には十年来の付き合いがある友人がいます。
しかし友人と言っても実は直接会ったことがありません。
いわゆるインターネットを通じての付き合いであり、ネット友達であったのです。
もっとも現在のネット社会ではでは珍しくもないかもしれませんが。
今現在アラサーになってしまった私が初めて携帯を持ったのは大学生の頃でありました。
パソコンすら持ったことがなかった当時の私にしてみれば、携帯電話を通してのインターネットはとても新鮮であったものです。
いくつかホームページを見て周り、私の趣味をメインに扱っているサイトで彼女と出会いました。
当時、私や彼女の他にもそのサイトの常連さんはたくさんいたのですが年月が過ぎるにつれ、連絡を取るメンバーは少なくなっていきました。
そしてコミュニケーションの場をチャットやスマートメディアに変えた頃、ついにあの頃のメンバーは私と彼女だけになってしまったのです。
途中新たに加わった仲間も何人かいたので賑わい的には以前と変わることはありませんでしたが、やはり私と彼女の間だけには独特の仲間意識があったような気がします。
しかしそれでも直接会ったことはありませんでした。
私の地元と彼女の地元とはかなり距離が離れていたためです。
現に身近に住む他のメンバーとは何度かあったこともあり、まあいつかは会えるだろうなどと気楽に考えていました。
それが大きな勘違いだったと気づいたのは数年前のことです。
久しく彼女と連絡を取っていないことに気づいた私はメールで近況を尋ねてみました。
しかし返事は返ってきませんでした。
他のメンバーたちとも相談し幾度となく彼女にそれぞれが連絡を試みたのですが、一度も返事はありませんでした。
結果それ以来、今なお彼女からの連絡はありません。
彼女の正確な住所も電話番号も知らないことを今になって後悔しています。
無事でさえいてくれればそれでいいのですがその便りすらないのであっては。
時たま彼女の書き込みが何かないかとスマートメディアを開いてみるのですが、毎回後悔を募らせるばかりなのです。