外見と内面を磨く
今でも賛否両論ある「ミス・コンテスト」ですが、日本のミスコンと海外、特に米国の有名ミスコンとでは、大きな違いがあるようです。
女性を男性が評価する、というのは、日本では卑しいことと捉えられていますが、ミスコンには賛成ですか?反対ですか?
ミスコンテンストの審査基準は、一見すると曖昧ですが、確かに明確な基準は無いのかも知れません。
「容姿端麗」と言われても、人それぞれにイメージは異なりますからね。
では、ミス・コンテストが無くならないのは、一体、なぜなのでしょうか。
女性は美しさを求めるからですか?
どうも違うような気もします。
極端な例ですが、美容整形などで外見を変えることが、現代ではそれほど後ろめたいことでは無くなりつつあります。
某国では、女性のほとんどが美容整形に対して、何の抵抗も無いというスタンスだそうです。
しかし、外見を変えたところで、いつかは内面を見られる日が来ますので、心の面も変えなくてはなりません。
ですが、この心を変えることが、一番難しいことなのではないでしょうか。
何十年も変わらなかった内面を劇的に変えることは、とんでもないきっかけが無い限りは難しいものです。
ミス・コンテストは、女性が良い方向に変わることを支援するシステムと考えると、頭ごなしの否定は考え物なのかもしれません。
エントリーしている女性は内面的には肉食系なのでしょうね。
これらのイベントは男性が審査員であることがほとんどで、それも女性への卑しい視線と受け止められるようではありますが、女性が女性を見ると、嫉妬という感情が芽生えて公正な審査に支障をきたすという考え方も?
真相はわかりませんが、ミス候補の女性は、来る日も来る日も自分を磨き上げるための努力を惜しまないのは、立派の一言ですね。
綺麗な女性が必ずしも幸せではない
ずっと女性は綺麗に生まれた人の方が得をするものだと思っていました。
生まれた時から多くのことが決まっている。
どんな容姿で生まれてくるのか、どんな家にどんな家族構成で暮らすのか。
頑張っても所詮未来は見えている。
いつの頃からか、私はそんな風に思うようになっていました。
綺麗で自分に自信がある人は、好きな人が現れてもきっと簡単に告白することができる。
もし上手く行かなかったとしても、すぐにまた別の恋愛をすることができるのだろう。
男性だってやっぱり付き合うなら綺麗な人の方が嬉しいに決まっている。
私は所謂僻みっぽい女性になっていたのだと思います。
始めから努力もせずに諦めてしまう弱虫。
その価値観ががらりと変わったのは、大人になってからでした。
人の価値や女性の魅力は決して見た目だけでは決まるものではないことを、私を好きになってくれたある男性が教えてくれたのです。
笑顔がイイネと言ってくれる人。
始めは私に褒めるところがないからそんな風に言うのだと思っていたのですが、そうではありませんでした。
そして今、私が誰かの笑顔を褒める時、やはり心底素敵だなと思うから口にしています。
昔の私のように、自分に自信が無いからと諦めて努力をしない人もいるかもしれません。
でも、はっきり言ってそれは逃げだと思います。
世の中には本当にいろんな人がいて、女性を見る時の判断基準も様々です。
長く良い恋愛をしたいと思うなら、むしろ見た目はあまり良くない方が良いような気もするのですが、そんな風に思うのは私だけでしょうか。
笑顔の綺麗な人でありたい。
私はそう思って今も暮らしています。