プラスチックの末路

地元の駅前で新しいマンションの建設が始まる所だったが、小さな遺跡のようなものが発掘されてしまい、建設作業がストップしている。
国による調査が終わらないと建設を進めてはいけないそうで、業者にとっては正直大迷惑である。

この駅は地下鉄だが、開業前の三十年ほど前、しょっちゅう陶磁器などが発掘されたそうだ。
調査されて貴重なものは、博物館に貯蔵されている。

このように、昔々の生活で当たり前に使っていた陶磁器類が、時を経て発掘されると、そのときの生活様式を垣間見ることができるので貴重なものとされる。

現代はプラスチック製品も多いが、これからあと十世紀ほど経ったころ発掘されたらどのように思われるのだろうか。
土に還ることもなく永久的に形をとどめるであろうプラスティックを見て、未来の私たちの末裔たちは何を思うのであろうか。

あまり技術が変わっていないためにスルーされるのか、昔のプラスチックは今より丈夫だと研究の対象になるのか。
それを見ることができないのだが、安価に大量生産されるものたちの末路がなんとなく気になってしまった。

意識して生活すると全てが勉強になる

人生そのものが学習だと思っています。
私は勉強することが大好きです。
今から何かの資格を取るために、
机に向かってカリカリというのではありません。
日々積み重ねていること、
すべてが自分の知識という財産になっていると思うのです。

ただ何も考えずにテレビを見るのと、
何か覚えようとしてテレビを見るのとでは、
脳の使い方が違うと私は思います。
例としてあげれば、
つい最近、テレビ番組で、
世界の仏教遺跡の特集が組まれていて、
有名処が数か所ピックアップされ、
メインとして私の知らない遺跡が放映されていました。
この番組を見ることにより、
こんな遺跡があったという事実だけではなく、
この遺跡がある場所・歴史・文明や王朝の成り立ちや衰退まで、
知識として得ることが出来ました。
元々海外旅行が好きな私としては興味が湧き、
いつか行ってみたいなと思いました。
こうしてまた一つ知識が増えたことにより、
人との会話のネタも増えるということです。
様々な知識があれば、話の引き出しが増えることに繋がります。
今現在、私の周りにこの手の話には興味のない人ばかりであっても、
この先新しく知り合う人と、この話を元に仲良くなれたりするかもしれない。
あくまでも海外旅行の話は少しスケールが大きい一例ですが、
本当に身近な小さな事でも、何かを覚えるということは、
人と人とのコミュニケーションの一つになるということだと思います。
こう考えるとスマートフォンでインターネット出来るということは、
すごく便利なことですね。

«
»