広い階段
何のトラウマか分からないが、駅などの広い階段を下るのが怖い。
手すりがないと怖いくせに、ばい菌がつきそうだからと手すりを握れない。
そのため、手すりの上に手を浮かせて、何かあったときには掴めるようにしている。
下る最中に足が絡まりゴロンゴロン落ちて大けがをする想像が一瞬にして頭によぎるため、朝のラッシュで誰もが急いで大階段を駆け下りていくが、私はゆったり下りるので後ろの人がイライラしている。
そして、リズムよくトントントンと下りていても、何の拍子でか、フッと踏み外しそうになり、手すりをぐっと掴む。
そのたびに後ろの人が一瞬悲鳴を上げるので大変申し訳ない。
予想するに、前世で階段から落ちて死んだのではないかと思う。
そのため、広い階段が苦手なんだと勝手に来て込んでいる。
手すり側を死守できないときは余計にパニックだ。広い階段で大量の人、真ん中をトントン下りていかなくてはいけないプレッシャーで汗をかいてしまう。
混んでいる時間だと、エレベーターは若い人は遠慮しなければならない空気が漂うし、エスカレーターは恐ろしいほどの列が一気に出来る。
でも、私は本当にいつか転げ落ちてしまう気がしてならないので、その恐ろしいほどの列に並び、意地でもエスカレーターを使うことにする。
その方が駅にも周りにも迷惑をかけることにならないだろう。
転びやすい件
人間はどうして転ぶのだろうか。
子供が転びやすいのは、よく頭が重いからだと言われるが、それは一体いくつくらいまでの話だろうか。
私は昔からよく転ぶ。
とにかくいついかなる時にも転んでいた。
なんでもない道を歩いていても転んだし、家の中でも転んだ。
それは大人になった今でも大した差はない。
自転車でもすぐにタイヤを取られて倒れるし、階段からも転がり落ちる。
何もないところでも、家の中で転ぶのも相変わらずだ。
さすがにビタンと転ぶことはないけれども、躓いてよろめくことは非常に多い。
自分では、すり足で歩いているからだと思っている。
決して頭が重いからだとは言いたくない。
子供の頃は間違いなく頭が大きい子供だったので、転ぶのは仕方ないとして、大人になった今ではそんなことは、口が裂けても言えないのである。
とにかく、ずっと転びやすいので、人よりいろいろな転び方のバリエーションを持っている。
何もないところで転んだり、階段を5段以上滑り落ちたりというのはまあよくある部類である。
そんな中でも今まで一番劇的だった転び方がある。
それは忘れもしないとある雨の日。
私はいつものように電車の時間ぎりぎりになって駅に駆け込んだ。
階段を駆け上って、駅構内を走った。
地面は通勤客の靴が撒き散らした、その日の雨水で水浸しであった。
そして、一瞬、その水気に足をとられた。
あ、まずい。
そう思ったときにはもう遅かった。
私はつるつるした地面を滑り、前を歩いていたサラリーマンの足の間をくぐり抜けた。
まさにゴールの瞬間。
もちろん、その先のことは覚えていない。
そうやって立ち上がったのか、そのサラリーマンにお詫びは言ったのか。
今となってはどうやっても思い出せないというのがまた恐ろしいのであるが、逆に思い出せないことも幸いとしか言いようがないのである。