倒れる寸前

成人式のときに着る振り袖のことを、別名中振り袖というが、この中振り袖を着ているときに倒れそうになったことがある。
田舎の方で美容師をしている友人から、着付けの練習をさせてくれと頼まれた。

着付けの美しさや帯結びの芸術性などを競う大会があるらしく、大会に向けての練習だった。
下着である肌襦袢を身につけた状態で、競技時間を計り出す。
時間内に、体のラインを補正して、長襦袢、振り袖、帯結びを仕上げなければならない。

補正は綿とガーゼを合わせたものを、胸の下などに貼っていく。
そうすると、着付けにふさわしい寸胴の体型になる。

そして長襦袢を着て襟元を綺麗に整えて振り袖を着る。
ここまでで40分ほどだが、立ちっぱなしなのと、帯を巻く力が強いため気分が悪くなった。
帯結びが完成したころには目の前が真っ青になり思わずへたり込んでしまった。

私は貧血などで倒れたことはなかったが、今思えばあれが倒れる寸前の状況。
視界が青と緑と灰色を合わせたような色にかすみ、口が渇く。
これから、もしこのような症状が体に出ることがあれば倒れる寸前だということを覚えておこう。

着物美人

洋服に慣れていればいるほど、着物を着た時のギャップは大きい。
自分の中での気持ちのギャップだ。それは行動に全てあらわれる。

まず、背筋が伸びる。
次に内股で、なお且つ狭い歩幅、すり足で歩くようになる。
腕を挙げるときは、露わにならないように左手を添える。

物を持つ時も同じだ。
表情も穏やかな笑みを心がけ、笑う時は口を隠す。
指の間を広げるようなこともしない。

子供時代、着物で育ったわけではないが、着物を着ると、この全てのことを当たり前にしてしまうのだ。
洋服を着ている時であればかなり難しいことなのに、着物を着ていれば自然とそうなっている。

心のどこかで、この雅な着物に負けたくない、という気持ちがあるのかもしれない。
外見に負けないように、中身も綺麗になりたいというものかもしれない。
せっかく着物を着ているのだから、美しく見えないような所作はもったいない。

着物に相応な所作は、その人自身の気品もあげるのではないかとさえ、私は考えている。
ただ、着物を着ていても、大雑把な人は所作も大雑把であり、本質的には人間は短期間で変われないということがよくわかるし、日頃の生活習慣が見えてきてしまう。

「お行儀」という言葉を最近は聞かなくなってしまった。
若い女性が道端にあぐらをかいて座っている様を見ると、これでは男性も寄り付かないはずだと考えてしまう。

そして数年たち、適齢期になったとしても、かつて道端に座っていた性根は取れるものではない。

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